落ちてくる声

砂の部屋に人を招き始めてから数年が経った頃、訪れた人々が砂に触れながら悩みを話し出すことが増えていった。
今いる環境への馴染めなさや、「このままでいいのか」という漠然とした不安、身近な人には言えない違和感。そのどれもが、誰に話せばいいのかよくわからないような、行き場のない悩みばかりである。そして話し終わると、彼らは来た時よりも元気になって帰っていくのであった。

私はその光景を、ずっと不思議に思っていた。
砂の部屋には、悩みを解決するヒントもなければ、何かをうまくやるためのアドバイスも転がっていない。ただそこに存在するのは、部屋中に広がる砂と、人々の語りから落ちてくる声だけであった。
しかし、何人もの話を聞いているうちに、私は声を聴くことそのものに力があると感じ始めていた。
人は環境に順応していく中で、自然とその場に合った役割やキャラクターを身につけていく。すると、そうした周囲の人間関係や普段の自分とは折り合いの付かない不都合な声は心の奥底に溜まっていく。

行き場のない悩みは、そうした抑圧された声から生まれていた。
心の底で思っていることを声に出すことは、それだけで癒しの力がある。
そんな内なる声を解放することで、悩みは解決せずとも解消されていく。解決策や助言は、悩みに対して必ずしも重要なものではなく、むしろ本当に必要だったのは、その悩みの奥にある声の存在に気づいてあげることであったのだ。

そして、ふと思い出す。
それは砂を敷く以前の私が、ずっと欲しかったものであるということに。