はじめに​​​​​​​
わたしが砂を敷く理由
東京都渋谷区にあるアパートの一室、
四畳半の部屋に敷かれた二百キロの砂。

その空間に暮らし始めたことが、「砂の部屋」の始まりでした。

それから現在に至るまで、現代アーティストとして砂を敷いた空間作品「砂の部屋」を制作しながら、砂の上に人を招き続けています。

展示する空間はギャラリーに問わず縁のあった場所で行い、毎回その空間の特性や土地の文脈からインスピレーションを受けて制作されます。そのため、砂を敷ける空間との出会いが、常に制作の始まりにあります。

また、私が代表を務める株式会社BACK HILL主催のもと、制作資金の調達から展覧会の運営までを全て独立した形で行なっています。

・・・

「なぜ砂を敷いたのか?」

この活動を始めてから、数え切れないほど聞かれてきました。

はじめた理由を問いかける人の多くは、どこかで運命的な物語を期待されているのかもしれません。
しかし実際には、はじまりそのものには大して意味はなく、脚色を外してしまえば単なる思いつきに他なりません。

偶然の思いつきが年月を経て語り直される過程で、あたかも運命であったかのように変化していく。
物事の理由や原因は、あとから語り直される過程で選ばれた「その人がそう信じたいこと」に過ぎないのです。

そのためここでは、今の私が信じている「わたしが砂を敷く理由」を、自己紹介に代えて書いていきたいと思います。
理由のわからない直感
子供の頃から物作りが好きだった。

そして学生時代には、「自分にはこれだ」という表現を探し求めて、絵画や彫刻、演劇や映像、写真やファッションなど、思いつく限りのことを片っ端に試し続けてきた。

しかし、「どれも違う」と気づいた頃には、10年の時が経っていた。

どんなことに手を出してみても、これといった手応えはなく、「何もない」という現実だけが手元に残った。
東京に部屋を借りようと思ったのは、進学や就職もせずにアルバイトをしながらその日暮らしをしている時であった。

毎月の家賃を払って部屋を借りるなら何かできないか。

そう考えているうちに、昔旅をした異国の風景を思い浮かべる。

朝の市場や昼の屋台、スーパーの見慣れない食品や駅の中にある広告、街を通り過ぎるバスや道端に置かれた郵便ポスト、そのひとつひとつが旅行者から見ればユニークなものとして目に映る。

けれど、現地の人たちにとっては、どれもありふれた普通のものに過ぎない。
外から見ればどんなに変わったことでも、そこで生活している人にとっては当たり前のものとなる。

そういった、一つひとつの日常のズレの積み重ねによって、異国は出来上がっていくのかもしれない。

もしそうであるならば、生活の中に何か大きな変化をもたらすことによって、新たなアイデアが浮かんでくるのではないか。

その時思い浮かんだのが、部屋に砂を敷いて暮らすことだった。

これまでの人生で、砂に特別な思い入れがあったわけでない。
けれど、部屋一面に砂が敷かれた風景を思い浮かべた時に、理由はわからないけれど直感的に心が惹かれていた。そして気づいたら、「砂が敷ける」という条件のみで物件を探し始めていた。​​​​​​​
異国化される風景
友人や当時のバイト先の社長に「砂を敷ける物件を探している」と相談しながら部屋を探し始めた。
その結果、「何をしてもいいよ」という寛容な大家さんが所有するアパートを見つけることができた。

住所は、東京都渋谷区。
渋谷といっても繁華街からは離れており、昔ながらの活気ある商店街を歩いて行った先にそのアパートはあった。

周囲の住宅地から浮くほどに古い建物は、不動産屋からも「写真よりも実物の方がパンチがありますよ」と言われるほどに異彩を放っていた。

アパートの外観は一軒家のようにも見えるけれど、建物にペンキで直接書かれた「入口はこちら→」という案内に従って建物の脇に進むと、枝分かれに伸びた階段と複数の部屋が存在していた。

私はそのうちの一室、表通りに面した二階の部屋を借りることにした。
ちなみに真下と隣の部屋は廃墟である。

私は借りた部屋の壁や天井の色を塗り直し、床にシートを敷いて養生した後、インターネットで購入した約200kgの砂を部屋一面に敷き詰めた。
砂は子供の砂場用として販売されているもので、洗浄や加工がされており白くてさらさらとしていた。

それから365日、寝るのもご飯を食べるのも砂の上で過ごす中で、次第に私自身の生活様式も砂に適応するように変化していく。

それは異国を旅する時のような、ゼロから世界に出会い直していく経験であった。
旅をすると、街を歩くことや食事をすることなど、何気ない日常の動作にも驚きや発見が感じられる。
その喜びにまた出会いたくて、私たちは旅をするのかもしれない。

それは、子供が初めて世界を見るように、目に映るすべてのものが新鮮に捉えられる。
けれど大人になるにつれて、それらのものは当たり前のものとなり、だんだんと認識しなくなってくる。

砂を敷くことで異国化される風景は、そのように認識されなくなった”ありふれたもの”たちと、もう一度新鮮な感動をもって出会い直させてくれた。
空白 エンプティネスの力
砂の部屋が出来上がってから、砂の上に人を招き始めた。
友人や知り合いから声をかけ、そこから口伝えに広まっていき、2~3年が経った頃には数百の人が訪れていた。

砂の部屋に訪れた人々は、砂から連想したことを語り出す。

ある人は「生まれ育った町の海辺を思い出す」と言い、またある人は「山で焚き火をしているようだ」と言った。
子供の頃に遊んだ公園を思い出す人もいれば、「宇宙にいるみたいだ」と言う人もいた。

砂の上には何もない。

けれど無心になって砂に触るうちに、人は砂に何かのイメージを投影し始める。
その風景は、海や山、森や湖、公園や宇宙、生まれる前の世界から死後の世界まで多岐に渡った。

想像であり創造のはじまりが、そこにあるように感じられた。

その時、『白』という本に書かれた一節を思い出す。

白は時に「空白」を意味する。色彩の不在としての白の概念は、そのまま不在性そのものの象徴へと発展する。しかしこの空白は、「無」や「エネルギーの不在」ではなく、むしろ未来に充実した中身が満たされるべき「機前の可能性」として示される場合が多く、そのような白の運用はコミュニケーションに強い力を生み出す。空っぽの器には何も入っていないが、これを無価値と見ず、何かが入る「予兆」と見立てる創造性がエンプティネスに力を与える。
『白』原研哉 著

砂の部屋での出来事とこの本の一節が交わった時、「ない」ことへの空虚さは可能性をもった空白へと昇華された。

なんでもありすぎる世界において、何かを作りだすことだけでなく、何もない空白を生み出すことも、一つの創造のかたちなのかもしれない。

砂はあらゆる可能性を受け入れる空白の器となり、人々の内に想像の余地をもたらす。
そして砂を敷くことで、世界に空白が生み出される。

私にとってそれは、価値あるものを生産することと等しく、美しい営みであると感じられた。​​​​​​​
行き場のない悩み
砂の部屋に人を招き始めてから数年が経った頃、次第に砂の上に訪れる人々の悩みを聞くことが増えていった。

今いる場所に感じる馴染めなさや、「このままでいいのかな」という漠然とした不安、身近な人には言えない違和感。
そのどれもが、誰に話せばいいのかよくわからないような、行き場のない悩みばかりである。

そして悩みを一通り語り終わると、人々は来た時よりも元気になって帰っていく。

私は不思議だった。
砂の部屋には、そんな悩みを解決するような情報もなければ、何か役に立つコンテンツがあるわけでもない。
ただそこに存在するのは、部屋中に広がる砂と、人々の語りから落ちてくる声だけであった。

こうして訪れた人たちの悩みを聞き続けているうちに、あることに気がつき始めた。
それは悩みの多くが、今その人が置かれている環境では声に出せない話である、ということだった。

「悩みは人に話すだけでスッキリする」とはよく言われるけれど、実際には思っていることを声に出すこと、抑圧されていた声を解放することで元気になるのではないか。

私たちは、人との関わりの中で生きているうちに様々な役割やキャラクターを背負っていく。
周囲との調和が尊重される中で、語られることない声たちは行き場を失っていく。

けれどその声は決して消えることはなく、悩みと化し、その存在を主張するかのように心の内を占めていく。

行き場のない悩みとは、抑圧された声から生まれているのかもしれない。

もしそうであるのなら、その声を解放することで、悩みは解決せずとも解消されるのではないか。

原因の追求や解決策の提示よりも先に必要だったこと。

それは、ただその声に気づいてあげることだったんだ。
抑圧された声の解放
私たちは、外からの声があまりにも聞こえすぎている。
外からの声に囚われると、漠然とした不安に襲われたり、得体の知れない焦燥感に駆られたりする。
そしていつしか、自分が本来持っていたはずの声が聞こえなくなり、自信を失っていく。

それは他の誰でもない、以前の私自身がそうであったことを思い出す。

時代は平成の初期から中期。
東京の郊外にあるベッドタウンで、私は生まれ育った。

幼い頃から小説や漫画、アニメなどの世界に慣れ親しみ、そこには「ここではないどこか」の物語が描かれていた。
けれど現実には、壮絶な事件もなければ、冒険の始まりを予感させるような出会いも起こらない。
特別な何かに選ばれることもなければ、食うにも困るほどの不遇な環境にも置かれていない。

そんな「なんでもない日常」と「何者でもない私」が、そこにいた。
それを決して不幸だとは語れないけれど、私が欲しかった幸福のかたちとはたしかに違っていた。

不便のない街で生まれ育ち、不自由のない生活をしていると、あまりにも不遇がなさすぎて、「今ここで生きている」という実感がどこかでずっと欠けていた。
そして、自分を何者かにしてくれるような居場所を探し続けていた。

様々な場所へ訪れ、あらゆる本を読み、多様な人と話し、どこかに自分らしさを求めては「なにか違う」という違和感ばかりを募らせていく。

時代は平成の後期。
社会的な大きな物語は次第に失われ、多様化する世界。

一見すると自由になっているはずなのに、むしろ息苦しくなっているのは何故だろう。
無尽蔵にもたらされる情報を受け取り、あらゆる人と繋がり続ければ、選択肢は無限に増え続ける。

だけど、決める勇気を持たないのに選択肢ばかりを増やしていけば、可能性が広がっていくワクワク感は、次第に「自分には何もない」という現状への虚無感や焦燥感へと変化していく。

答えの形は、無限に広がっていく。
存在しないことと等しいほどに。

そんな中で自由を謳歌するためには、選択する勇気が求められた。
そして、その勇気を導くものは、「今ここ」にいる私自身の声であった。

あの頃の私は、「ここではないどこか」ばかりを求めていて、「今ここ」にいる自分の声に耳を澄ますことができなくなっていた。

だけど本当に必要だったのは、ないものを求めることではなく、今ここにあるものを受け入れることであった。

今思えば、私が砂を敷いたのは、外からの声と距離を置くためだったのかもしれない。
私は、砂の部屋に落ちてくる数多の声と出会うことで、人々の内なる声が聞こえるようになっていた。
そして、今ここにある私自身の声を受け入れられるようになっていった。

私が砂の上で出会ったものは、自分自身の声であった。
もうひとつの地表
砂の部屋に暮らし始めてから、もうすぐ8年。
いつしか、今を生きる人々の行き場のない声を解放し、悩みを解消することが私の仕事となっていた。

日常から距離をおいた空間では、その人がこれまでに背負ってきた役割やキャラクター、生きてきた物語が少しずつ解かれていく。
その道のりで落ちてくる声には、その人をいかすエネルギーが宿っている。

その声に耳を澄ませると、内なる世界を旅しているように感じられた。

日常とは異なるけれど、異世界ほどは遠くない。
そんな地続きにあるもうひとつの地表で、そこにあるものと出会い直す。
その旅は、「今ここ」に帰ってくるための道しるべとなる。

砂を敷くと、世界にもうひとつの地表が現れる。
その空白に落ちてきた声は、私たちにたしかな実感をもたらす。

はじまりは何もない、砂が敷かれただけの四畳半。
だけど、そこに訪れた人の声によって、すべてのものがここにあると感じられた。

だから私は、世界のどこかで砂を敷いている。
2024915日 更新
< 砂の部屋へのご案内 >
東京にある砂の部屋の常設空間では、
オープンデイワークショップを随時行っています。
ご興味のある方はいつでもお待ちしております。

今後のお知らせは、WebsiteInstagramLINEにて行なっています。
Profile
井手尾雪(Yuki Ideo)
アーティスト / 株式会社BACK HILL 代表
2016年から渋谷区にある四畳半の部屋に砂を200キロ敷いて暮らし始めたことから、砂を敷いたインスタレーション作品シリーズ「砂の部屋」を制作している。
また、自身の制作プロセスの分析をきっかけに、1ページのノートをつくってよむことを通して内なる声を聴くツールである「DROP NOTE / ドロップノート」を開発。人々が思考や創造をするための空間設計、ワークショップの開発を行い、企業向けの研修なども手がける。

Yuki Ideo
Artist / BACK HILL Inc. CEO 
In 2016, she began living in a small room in Tokyo with 200 kilograms of sand, which led her to create the "Sand Room," a series of installation works covered with sand.
She also developed "Drop Note," a method of creating notebooks that resemble a map of the world based on his own creative process. He develops toolkits and workshops to help people think and imagine/create.