DROP NOTE JOURNAL 2023/04
わかりやすい秘密
これは、20234月に開催した展覧会『砂の部屋(わかりやすい秘密)』にて配布したフリーペーパーの内容です。
この時の展示のコンセプトにまつわるノートと、それに付随した文章を載せています。
はじめに
ドロップノートとは、紙のかけらに文字や絵を書き出した「ドロップ」を、ノートの上に集めて配置することによってつくられる、世界観の地図のようなものです。また、ノートをつくるだけでなく、それをよむ:リーディングにも重きをおいています。
「Note」には、メモや記録のほかにも、特徴や兆候、声の調子や響きという意味があります。リーディングのときには、自分で発したことに自分で驚く、そんな声が落ちるような感覚がよく起こります。

このDROP NOTE JOURNALでは、実際につくられたドロップノートと、そこから落ちてきた声をご紹介します。
今回は、私・井手尾 雪(Yuki Ideo)の展覧会『砂の部屋(Secrets in Showcase)』にまつわるドロップノートをお送りします。砂の部屋は、四畳半の部屋に200キロの砂を敷いて暮らしたことからはじまった作品シリーズです。
その制作の根幹にドロップノートがあり、私はドロップノートをつくるなかで、コンセプトを育てています。ここに載っている文章は、私のノートに書かれていたメモ書きを中心に構成されています。
プリミティブな感動
Primal Impression
ボールが三つ、砂の上に円を描く。
ボールの跡が砂にうつる。そのボールが動くと、砂にうつる像も動く。
これが楽しかった。

そこには、プリミティブな感動がある。
土に植えた種から芽が出たり、芋虫の脱皮を目の当たりにしたり、そういうときの感動が今の私を支えている。

感動は、失ってしまったものにまた出会えたときに起こるのかもしれない。
だから、諦めてしまったもの、手放してしまったものが増えるほどに、感動できる余白も広がっていく。

そして、再びそれと出会えたとき、それが大切なものであったと思い出す。
遊びの小道
Play Path
飼っている猫が、部屋中にあるものを勝手におもちゃにして遊んでいく。

あるときには、部屋に落ちていたピンポン球を見つけ、サッカー選手のように前足で転がし、気づいた頃には玄関の片隅にある排水口の穴にゴールを決めていた。

その姿は見えなくても、猫の足捌きに合わせて移動するピンポン球の「コン、コン」という音が、そのプレーを想像させる。
その音を聞いていると、家全体がコリントゲームのフィールドになったように感じられた。
私はそんな光景を目の当たりにするたびに、「お前は遊びの天才だな」と褒めながら猫を撫でていた。
「遊びの天才」は、次第に「あそてん」と略された。少し間の抜けた音の響きが、力が抜けてちょうどいい。
天才とは本来、高尚なものではなく、自然体を示す言葉なんだろう。
「あそてん」「あそてん」
何度もそう言っているうちに、それは「私が求めていたもの」ではないかと思い始めてきた。

私は遊びの天才になりたかったのだと、そう気づいた瞬間、古くから自分の奥底にあった祈りに触れたような感じがした。

2000年初期、似たような形の高層マンションが立ち並ぶベッドタウン。

小学生の私は、まだオートロックが導入される前のマンションの一階から四階までを使い、垂直軸で鬼ごっこをしていた。
ビルのよくわからない隙間をカフェみたいに使ったり、拾った枝やダンボールで工作していた。

公園や遊具もたくさんあったけれど、私は街にあるものをおもちゃにして遊ぶことが好きだった。
そんなときの私は、たしかに「あそてん」であった。
与えられたおもちゃで遊ぶだけでなく、おもちゃにして遊んでいくことができれば、部屋中が、世界中が、遊び場であることに気付かされる。
世界が大きなおもちゃ箱に見えたなら、どんなに楽しいことだろう。
生まれ直しの期間
Rebirth Period
人には、生まれ直しの期間のようなものが訪れると思う。

これまで培ってきたものだけでは、その先の人生をどうしても進められない時に、それは訪れる。
現状に対して「これでいいのかな」って思い始めたり、周りの目指す価値観に居心地の悪さを感じたり、そういう、既存の社会の枠組みに収まりの悪い、どこか「うまくやれない」感覚。
そんなときに、これまで歩んでいた物語から外れ、新しい物語へと進んでいくための岐路に直面する。
私にとっての、この数ヶ月は、まさにそんな期間であった。
いつの頃からか、私はノートに何度も「生まれ直しの期間」と書いていた。はじめの頃は自分でもそれが何を指しているのかよくわからなかった。けれど、何度も書いているうちに、それがどんどんと重要なものに思えてきた。
今、生まれ直しの期間に入り、数ヶ月経ってみて思うのは、生まれ直しの期間にやるのは、ひたすら遊ぶことであった。
ここでいう遊びは、自分がやりたかったこと、理由はわからなくても心惹かれること、そういったものに没入すること。だから、いわゆるレジャーだけとは限らない。

人は、遊びの中で生きる術をまなんでいく。
物語が変わるときには、世界が変わってしまうから、これまでの人生で獲得してきた認識や価値観では先に進めない時がやってくる。
だから、また遊びなおすことで、新たな物語を生きる上で重要なことをまなんでいく。

この時に、すぐに役に立ちそうな情報や、社会で予め価値付けられたものに頼っては危ない。事前に意味や価値をたしかめてから行ったら、それは遊びにはならないから。子供の頃にかくれんぼや鬼ごっこをする時に、事前に意味を見出してから始めなかったように。事前の想定や打算的な目論見は、遊びのもつ純粋さを濁らせてしまう。

遊びとは、そんな意味よりも先にくる衝動に従うことだと思う。
今回の作品には、そんな遊びが散りばめられている。そしてそれは、今回の私の生まれ直しの期間を通した、旅の産物になると感じている。
解放するドローイング
Liberty Drawing
ボールに何か描こうと思い、絵の具を塗っていた。
その時、手が滑り、まだ絵の具の乾いていないボールが紙の上に落ちる。
その落ちて転がっていった跡が、私の絵の先生となった。
ボールを握り、絵の具をつける。
手とボールが絵の具でぐちゃぐちゃになるのを感じながら、ボールを紙に押し付けて、転がす。
ボールは、エネルギーを方向づける。
私は、ボールの動き続ける現在地点に集中して、その行く末を追う。
目を閉じて、身体の伸びを感じながら、ボールが画面に当たる音と振動を頼りに線を引いていく。
不思議なことに、線を操作することを手放すほどに面白い線になっていく。
この線を介して、自分の何かが解放されている快感が気持ちよかった。
それを、解放するためのドローイング、「リバティ・ドローイング」と名付けた。
祈りのようなコンセプト
Prayerful Concept
コンセプトのコアにあるのは、祈りのようなものだと感じている。
それは、わざわざ言う必要がないほどに奥まったところにあるもの。
コアには直接触れることはできないから、その周縁にあるサインを探っていく。

タイトルは、そんなサインを受け取るための呪文のようだ。
それは、相手にも、そして自分にも、何度も繰り返し唱えられる言葉。
わかりやすい秘密
Secrets in Showcase
2022.12.23 (Fri.)
「わかりやすい秘密がないと、人々は見てくれない。私はそれとどう向き合っていいかわからない。」
それは、私が箱庭をつくったときにこぼれ落ちた声であった。
機会があって、以前から興味のあった箱庭療法にいってみた。
それは砂を使った心理療法で、砂の入った木箱にミニチュアのおもちゃなどを好きなように並べて、小さな世界をつくる。その世界について、セラピストと話をする。
私は、口の広い透明な瓶を手に取り、それをひっくり返して砂の上に置き、その中に樹脂製のきらきらとしたオブジェを入れる。
私はそれを「わかりやすい秘密」と呼んでいた。
この「わかりやすい秘密」とは何なのか。言った私もよくわからなかった。
それは、観光地のような場所であった。そこには、「目に見える神様」と「わかりやすい秘密」があり、それらにカメラを向けている。
私は、その場所に強い違和感を感じていた。私は、この場所に来る人たちのことを、どこか信じていないのではないかと思った。
セラピストに、「この場所がなくなってしまうとどうなるのか?」と聞かれた。
私は、「人々のこの場所への記憶の総量が減ってしまう。そうなると、消えてしまうのではないかという怖さがある。」と答えた。
この場所は、今後どうなっていくのか。

2023.01.07 (Sat.)
「わかりやすい秘密」を「Secrets in Showcase」と訳した。
それは、透明なショーケースに入った秘密。
秘密とショーケース。

2023.02.12 (Sun.)
ショーケースの中の、一見して閉じられた空間にも鍵はある。
ただ外から見て満足するだけでなく、その鍵を開けてくる人を、私は待っている。
以前に私のつくったドロップノートを見ると、「遊ぶことによるキーの解除」と書いてあった。そのショーケースの鍵は、遊ぶことなのかもしれない。それによって、空間はさらに開かれる。
遊ぶことは没入することに結びつく。没入してみないと感じられないことがある。中に入らずに外から見ているだけではわからないこと。
そして、没入感を高める上では、茶化してくる存在が、もっとも面白くないものである。それは、舞台上で演じる人間に「これは現実ではない」とツッコむのがナンセンスなように。
ショーケース、その中は聖域として守られることが大切なんだ。

2023.03.02 (Thu.)
箱庭にあった観光地のような場所と向き合った変遷は、私の中での許しのプロセスのようだと感じた。
そのものは変わらずとも、見え方や捉え方が変わることで、その意味が変異する。
以前の私は、その観光地に対して、戸惑いや嫌悪を感じていた。私がつくった見せ物を、訪れた人たちが消費する場所のように捉えていたから。
けれど、箱庭のなかにつくった観光地、あの場所にいた人は、他人ではなく、自分だったのかもしれない。
秘密にしている相手は、私自身だったのかもしれない。

2023.03.06 (Mon.)
あの場所は、自分のなかにある秘密や神様をみるところ。
”それ”は、自分自身ではあまりにも当たり前すぎて気づかない。
そんな自覚していない”それ”を、ショーケースに入れることで、”それ”が大切なものであったと気づく。

Secrets in Showcase
それは、大切なものに居場所を与えるおまじない。
大切なものは、ちゃんと大切にしてあげないと、大切であったことを忘れてしまうから。
あとがき
意味はあとからついてくる
Meaning comes later
砂の部屋をはじめたきっかけをよく聞かれるのですが、はじめるタイミングでは意味は大してありませんでした。
けれど、砂の上で過ごし、人を何度も砂に招いて話す中で、砂の記憶が集積し、どんどん繋がりだして、今ではそれが運命であったかのように感じられてしまうのです。
そんな風に、意味があとからついてきたのです。
事の意味は、あとからいくらでも書きかえられると気づいたら、これから起こる未知なる全てに可能性を感じられます。
だから、意味を見出すのは未来の自分に任せて、その瞬間に感じた衝動に従おうと思いました。
それが私にとっての遊びだったのです。
・・・
<砂の部屋へのご案内>
東京にある砂の部屋の常設空間では、オープンデイワークショップを開いています。
ご興味のある方は、どうぞ。
また今後のお知らせは、InstagramまたはLINEにてお伝えしています。