
生まれ直しの期間
人には、生まれ直しの期間のようなものが訪れると思う。
これまで培ってきたものだけでは、その先の人生をどうしても進められない時に、それは訪れる。
現状に対して「これでいいのかな」って思い始めたり、周りの目指す価値観に居心地の悪さを感じたり、そういう、既存の社会の枠組みに収まりの悪い、どこか「うまくやれない」感覚。
そんなときに、これまで歩んでいた物語から外れ、新しい物語へと進んでいくための岐路に直面する。
私にとっての、この数ヶ月は、まさにそんな期間であった。
いつの頃からか、私はノートに何度も「生まれ直しの期間」と書いていた。はじめの頃は自分でもそれが何を指しているのかよくわからなかった。けれど、何度も書いているうちに、それがどんどんと重要なものに思えてきた。
今、生まれ直しの期間に入り、数ヶ月経ってみて思うのは、生まれ直しの期間にやるのは、ひたすら遊ぶことであった。
ここでいう遊びは、自分がやりたかったこと、理由はわからなくても心惹かれること、そういったものに没入すること。だから、いわゆるレジャーだけとは限らない。
人は、遊びの中で生きる術をまなんでいく。
物語が変わるときには、世界が変わってしまうから、これまでの人生で獲得してきた認識や価値観では先に進めない時がやってくる。
だから、また遊びなおすことで、新たな物語を生きる上で重要なことをまなんでいく。
この時に、すぐに役に立ちそうな情報や、社会で予め価値付けられたものに頼っては危ない。事前に意味や価値をたしかめてから行ったら、それは遊びにはならないから。子供の頃にかくれんぼや鬼ごっこをする時に、事前に意味を見出してから始めなかったように。事前の想定や打算的な目論見は、遊びのもつ純粋さを濁らせてしまう。
遊びとは、そんな意味よりも先にくる衝動に従うことだと思う。
今回の作品には、そんな遊びが散りばめられている。そしてそれは、今回の私の生まれ直しの期間を通した、旅の産物になると感じている。