わたしが砂を敷く理由
2024.09.20 (fri.) 
理由のわからない直感
学生時代から「自分にはこれだ」というものを探し求めた結果、「どれも違う」と気づいた頃には年の時が経っていた。

思いつく限りのことは片っ端に試してきた。
しかし、どんなことに手を出してみても、これといった手応えはなく、何もない現実だけが手元に残った。

東京に部屋を借りようと思ったのは、進学や就職もせずにアルバイトをしながらその日暮らしをしている時であった。

毎月の家賃を払って部屋を借りるなら何かできないか。

そう考えているうちに、昔旅をした異国の風景を思い浮かべる。

朝の市場や昼の屋台、スーパーに並べられた見慣れない食品や駅の中にある広告、街を通り過ぎるバスや道端に置かれた郵便ポスト、そのひとつひとつが旅行者の目から見ればユニークなものとして映る。

けれど、現地の人たちにとっては、どれもありふれた普通のものに過ぎない。
外から見ればどんなに変わったことでも、そこで生活している人にとっては当たり前のものとなる。

そういった、一つひとつの日常のズレの積み重ねによって、異国は出来上がっていくのかもしれない。
もしそうであるならば、生活の中に何か大きな変化をもたらすことによって、新たなアイデアが浮かんでくるのではないか。

その時思い浮かんだのが、部屋に砂を敷いて暮らすことだった。

これまでの人生で、砂に特別な思い入れがあったわけでない。
けれど、部屋一面に砂が敷かれた風景を思い浮かべた時に、理由はわからないけれど直感的に心が惹かれていた。

そして気づいたら、「砂が敷ける」という条件のみで物件を探し始めていた。

異国化される風景
私は、友人や当時のバイト先の社長に相談しながら部屋を探し始めた。
その結果、「何をしてもいいよ」という寛容な大家さんが所有するアパートを見つけることができた。

住所は、東京都渋谷区。
渋谷といっても繁華街からは離れており、昔ながらの活気ある商店街を歩いて行った先にそのアパートはある。

周囲の住宅地から浮くほどに古い建物は、不動産屋からも「写真よりも実物の方がパンチがありますよ」と言われるほどに異彩を放っていた。

アパートの外観は一軒家のようにも見えるが、建物に直接ペンキで書かれた「入口はこちら→」という案内に従って進むと、建物の脇に枝分かれに伸びた階段と複数の部屋があった。

私は、そのうちの一室を借りることにした。
表通りに面した二階の部屋で、真下と隣の部屋は廃墟である。

後日、部屋の壁や天井の色を塗り直し、床にシートを敷いて養生を行った。
建築関係の知り合いに聞いたところ、砂を敷いて床が抜ける心配はないらしい。

一通りの準備を終えた後、200キロの砂を部屋一面に敷き詰める。
砂は子供の砂場用としてインターネットで販売されているもので、白くてさらさらとしていた。

それから365日、寝るのもご飯を食べるのも、すべての生活を砂の上で過ごした。
異国に訪れたときのように、何気ない日常の動作にも驚きや発見が感じられる。
それは、ゼロから世界に出会い直していく経験であった。

子供が初めて世界と出会うとき、目に映るすべてのものが新鮮に捉えられる。
しかし大人になるにつれて、それらは当たり前に感じられ、だんだん認識しなくなってくる。

砂を敷くことで異国化される風景は、いつの間にか忘れてしまった”ありふれたもの”たちとの、新鮮な出会いを思い出させてくれた。

空白 エンプティネスの力
砂の部屋が出来上がってから、そこに少しずつ人を招き始めた。
友人や知り合いから声をかけ、そこから口伝えに広まっていき、2~3年が経った頃には数百の人が訪れていた。

砂の部屋に訪れた人々は、砂から連想したことを語り出す。

ある人は「生まれ育った町の海辺を思い出す」と言い、またある人は「山で焚き火をしているようだ」と言った。
子供の頃に遊んだ公園を思い出す人もいれば、「宇宙にいるみたいだ」と言う人もいた。

砂の上には何もない。

けれど無心になって砂に触るうちに、人は砂に何かのイメージを投影し始める。
その風景は、海や山、森や湖、公園や宇宙、生まれる前の世界から死後の世界まで多岐に渡った。

想像であり創造のはじまりが、そこにあるように感じられた。

その時、『白』という本に書かれた一節を思い出す。

白は時に「空白」を意味する。色彩の不在としての白の概念は、そのまま不在性そのものの象徴へと発展する。しかしこの空白は、「無」や「エネルギーの不在」ではなく、むしろ未来に充実した中身が満たされるべき「機前の可能性」として示される場合が多く、そのような白の運用はコミュニケーションに強い力を生み出す。空っぽの器には何も入っていないが、これを無価値と見ず、何かが入る「予兆」と見立てる創造性がエンプティネスに力を与える。
『白』原研哉 著

砂の部屋での出来事とこの本の一節が交わった時、「ない」ことへの空虚さは可能性をもった空白へと昇華された。

なんでもありすぎる世界において、何かを作りだすことだけでなく、何もない空白を生み出すことも、一つの創造のかたちなのかもしれない。

砂はあらゆる可能性を受け入れる空白の器となり、人々の内に想像の余地をもたらす。
そして砂を敷くことで、世界に空白が生み出される。

それは私にとって、価値あるものを生産することと等しく、美しい営みであると感じられた。

行き場のない悩み
砂の部屋に人を招き始めてから数年が経った頃、次第に砂の上に訪れる人々の悩みを聞くことが増えていった。

今いる環境に感じる馴染めなさや、「このままでいいのかな」という漠然とした不安、身近な人には言えない違和感。
そのどれもが、誰に話せばいいのかよくわからないような、行き場のない悩みばかりである。

そして彼らは、悩みを一通り語り終わると、来た時よりも元気になって帰っていく。

私は不思議だった。
砂の部屋には、悩みを解決するようなヒントもなければ、役に立つ情報があるわけでもない。

ただそこに存在するのは、部屋中に広がる砂と、人々の語りから落ちてくる声だけであった。

こうして訪れた人たちの話を聞き続けているうちに、ある共通項に気づき始めた。
それは、悩みの多くが「今その人が置かれているところでは声に出せない話である」ということだった。

「悩みは人に話すだけでスッキリする」と、よく言われる。
これは実際には、思っていることを声に出すこと、抑圧されていた声を解放することで元気になるのではないか。

私たちは、人との関わりの中で生きている。
そのうちに、”その人らしい”役割やキャラクターを背負っていく。
すると次第に、「自分らしくない」「キャラに合わない」ことは声に出せなくなってくる。

周囲との調和が尊重される中で、語られることない声たちは行き場を失う。
けれどその声は決して消えることはなく、悩みと化して、その存在を主張するかのように心の内を占めていく。

行き場のない悩みとは、抑圧された声から生まれているのかもしれない。

もしそうであるのなら、その声を解放することで、悩みは解決せずとも解消されるのではないか。

悩みが生じたとき、私たちは原因や解決策を探そうとする。
本を読んだり、人からのアドバイスを求めたり、外に答えを求めようとする。

しかし、どうしても消えないモヤモヤが残るとき。
必要だったのは、自分の内にある声に気づいてあげることだったのかもしれない。

抑圧された声の解放
私たちは、外からの声があまりにも聞こえすぎている。
外からの声に囚われると、漠然とした不安に襲われたり、得体の知れない焦燥感に駆られたりする。
そしていつしか、自分が本来持っていたはずの声がかき消され、自信を失っていく。

砂の上に訪れる人々の声に耳を澄ませているうちに、私は、砂を敷く以前の自分自身を思い出していた。

平成の初期。
東京の郊外にあるベッドタウンで、私は生まれ育った。

幼い頃から慣れ親しんでいた物語の世界には、「ここではないどこか」が描かれていた。

けれど現実には、壮絶な事件もなければ、冒険の始まりを予感させるような出会いも起こらない。
特別な何かに選ばれることもなければ、食うにも困るほどの不遇な環境にも置かれていない。

なんでもない日常と、何者でもない私。

それを決して、不幸だとは語れない。
けれど、私が欲しかった幸福のかたちとはたしかに違っていた。

不便のない街で生まれ育ち、不自由のない生活をしていると、あまりにも不遇がなさすぎて、「今ここで生きている」という実感がどこかでずっと欠けていた。

様々な場所を訪れ、あらゆる本を読み、多様な人と話し、どこかに自分らしさを求めては、「なにか違う」という違和感ばかりを募らせていく。

時は流れて、平成の後期。
社会的な大きな物語は次第に失われ、多様化する世界。

一見すると自由になっているはずなのに、むしろ息苦しくなっているのは何故だろう。

無尽蔵にもたらされる情報を受け取り、あらゆる人と繋がり続ければ、選択肢は無限に増え続ける。
決める勇気を持たないのに可能性ばかりが広がっていけば、そこに抱いていたワクワク感は、いつしか「自分には何もない」という虚無感や焦燥感へと変化していった。

答えの形は、無限に広がっていく。
存在しないことと等しいほどに。

それでも自由を謳歌するためには、選択する勇気が求められた。
そして、その勇気を導くものは、「今ここ」にいる私自身の声であった。

落ちてくる声
思い返せば、私はいつも「ここではないどこか」ばかりを求めていた。
そして次第に、「今ここ」にいる自分の声を聴くことができなくなっていた。

けれど、砂を敷き、外からの声と距離を置くことで出会ったものは、自分自身の声であった。

ないものを求めるのではなく、今ここにあるものを受け入れること。
それが、砂の部屋に落ちてくる声と出会うなかで気づかされたことであった。

砂の部屋を始めてから、もうすぐ8年。
いつしか、今を生きる人々の行き場のない声を解放し、悩みを解消することが私の仕事となっていた。

日常から距離をおいた砂の上で、背負ってきた役割やキャラクターが少しずつ解かれていく。
その過程で、ふと落ちてくる声がある。

その声には、その人をいかすエネルギーが宿っている。
そして、聴く人を、またそれを語る自分自身をも元気にさせる力があった。

その声に耳を澄ませると、内なる世界を旅しているように感じられる。
日常とは異なるけれど、異世界ほどは遠くない。

そんな地続きにあるもうひとつの地表で、私たちは出会い直す。

もうひとつの地表
砂を敷くと、世界にもうひとつの地表が現れる。
その空白に落ちてきた声は、私たちにたしかな実感をもたらす。

はじまりは何もない、砂が敷かれただけの四畳半。
だけど、そこに訪れた人々の声によって、すべてがここにあると感じられた。

だから私は、世界のどこかで砂を敷いている。
・・・
<砂の部屋へのご案内>
東京にある砂の部屋の常設空間では、オープンデイワークショップを開いています。
ご興味のある方は、ぜひお越しください。
また今後のお知らせは、InstagramまたはLINEにてお伝えしています。