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わたしが砂を敷く理由
目次
1. 理由のわからない直感
2. 四畳半に砂を敷く
3. 空白が生まれる
4. 落ちてくる声
5. 今ここにかえる
6. 
もうひとつの地表
理由のわからない直感
東京に部屋を借りようと思ったのは、美大を出て進学や就職もせずにアルバイトをしながら暮らしている時であった。
部屋を借りるためにわざわざ毎月の家賃を払うのであれば、何かできないだろうか。そう考えているうちに、ふと、これまで旅してきた異国の地の風景を思い浮かべる。

朝の市場や昼夜の屋台、スーパーに並ぶ見慣れない食品パッケージや、駅や街を通り過ぎる乗り物の色、道端に置かれた看板や郵便ポスト。
旅行者の目にはどれも新鮮に映るけれど、現地の人々にとっては日常に溶け込んだありふれたものに過ぎない。外から見ればどんなに変わっていたとしても、慣れてしまえば当たり前のものとなる。

異国のもつ独創的な風景は、こうした日常のズレが積み重なって生まれていた。
ならば、生活の中に何か大きく異質な変化をもたらすことで、今までとは違った景色が見えてくるのではないだろうか。
部屋に砂を敷いて暮らすことを思い付いたのは、その時であった。

これまでの人生で、砂に特別な思い入れがあったわけではない。
だけど、部屋一面に砂が敷かれた風景を思い浮かべた時に、理由はわからないけど直感的に心が惹かれていた。
そして気づいたら、「砂が敷ける」という条件のみで物件を探し始めていた。
四畳半に砂を敷く
砂を敷くことができれば、立地や間取りはなんでもいい。そうして部屋を探しまわった結果、「何をしてもいいよ」という寛容な大家さんが所有する古いアパートを見つけることができた。

住所は、東京都渋谷区。
渋谷といっても繁華街からは遠く離れた住宅街で、駅から続く活気ある商店街を抜けた先にそのアパートはあった。
築60年ほどの木造住宅は周囲の建物と比べてもかなり古びており、独特な雰囲気を醸し出す。不動産屋にも「写真よりも実物のほうがパンチがありますよ」と言われたくらいであった。

外観は二階建ての一軒家のように見えるが、壁にペンキで荒々しく書かれた「入口はこちら」という案内に従って進むと、建物の横に枝分かれした階段といくつかの部屋がある。
私は、そのうちの表通りに面した二階の部屋を借りることにした。
四畳半ほどの空間にはコの字型の大きなロフトが付いており、二つの窓からは光がよく差し込む。アパートには他の住人もいるらしいが、隣と真下の部屋は既に廃墟となっており、人が住むことはなかった。

壁や天井の色を塗り替え、フローリングの床に養生としてシートを敷く。砂は、運搬の手間なども考えてインターネットで購入することにした。選んだ砂は、子供の砂場用の砂として販売されているもので、20キロずつ袋詰めにされて部屋まで届けられる。
そして、私は部屋一面に200キロの砂を敷き詰めた。
それから365日、寝るのもご飯を食べるのも、すべての生活を砂の上で過ごした。
空白が生まれる
砂の部屋ができ、友人や知り合いを招き始めた。すると、そこから口伝えに広まっていき、気づいた頃には数百の人が訪れるようになっていた。
人々は砂に触りながら、各々に思い浮かべたことを話し出す。ある人は「生まれ育った町の海辺を思い出す」と言い、またある人は「山で焚き火をしているようだ」と言った。子供の頃に遊んだ公園を思い出す人もいれば、「宇宙にいるみたいだ」と思い浮かべる人もいた。

砂の上には何もない。
だけど、無心で砂に触れているうちに、人はそこに何かを投影し始める。その風景は、海や山、森や湖、公園や宇宙、生まれる前の世界から死後の世界まで多岐に渡った。

砂を敷くことで、世界に空白が生まれる。
その空白に触れると、一人ひとりの内側から様々なイメージが湧いてくる。想像であり創造のはじまりが、そこにあるように感じられた。

その時、『白』という本に書かれた一節を思い出す。

” 白は時に「空白」を意味する。色彩の不在としての白の概念は、そのまま不在性そのものの象徴へと発展する。しかしこの空白は、「無」や「エネルギーの不在」ではなく、むしろ未来に充実した中身が満たされるべき「機前の可能性」として示される場合が多く、そのような白の運用はコミュニケーションに強い力を生み出す。空っぽの器には何も入っていないが、これを無価値と見ず、何かが入る「予兆」と見立てる創造性がエンプティネスに力を与える。 ”
『白』原研哉 著

なんでもありすぎる世界において、何かを作りだすことだけでなく何もない空白を生み出すことも、一つの創造のかたちなのかもしれない。

砂の部屋で起こることと本の一節が交わった時、私の中で「ない」ことへの空虚さは、可能性をもった空白へと昇華されていった。
​​​​​​​落ちてくる声
砂の部屋に人を招き始めてから数年が経った頃、訪れた人々が砂に触れながら悩みを話し出すことが増えていった。
今いる環境への馴染めなさや、「このままでいいのか」という漠然とした不安、身近な人には言えない違和感。そのどれもが、誰に話せばいいのかよくわからないような、行き場のない悩みばかりである。そして話し終わると、彼らは来た時よりも元気になって帰っていくのであった。

私はその光景を、ずっと不思議に思っていた。
砂の部屋には、悩みを解決するヒントもなければ、何かをうまくやるためのアドバイスも転がっていない。ただそこに存在するのは、部屋中に広がる砂と、人々の語りから落ちてくる声だけであった。
しかし、何人もの話を聞いているうちに、私は声を聴くことそのものに力があると感じ始めていた。
人は環境に順応していく中で、自然とその場に合った役割やキャラクターを身につけていく。すると、そうした周囲の人間関係や普段の自分とは折り合いの付かない不都合な声は心の奥底に溜まっていく。

行き場のない悩みは、そうした抑圧された声から生まれていた。
心の底で思っていることを声に出すことは、それだけで癒しの力がある。
そんな内なる声を解放することで、悩みは解決せずとも解消されていく。解決策や助言は、悩みに対して必ずしも重要なものではなく、むしろ本当に必要だったのは、その悩みの奥にある声の存在に気づいてあげることであったのだ。

そして、ふと思い出す。
それは砂を敷く以前の私が、ずっと欲しかったものであるということに。
今ここにかえる
平成の初め、私は東京からほど近い郊外のベッドタウンで生まれ育った。
不便のない街での不自由のない暮らし。そのことを決して不幸だとは語れないけれど、欲しかった幸福のかたちとはたしかに違っていた。

漫画や小説でよむ未知なる旅の物語に憧れを抱くものの、現実には事件もなければ冒険の始まりを予感させるような出会いも起こらない。そんな生活のなかで、私はずっと生きている実感を欲していた。
面白いものにはたくさん出会ってきたはずなのに、「なにか違う」という感覚は拭いきれず、いつだって、ここではないどこかを追い求める。
どんなに本を読んでも、あらゆる場所へ訪れても、いろんな人と出会って話しても、自分の求める居場所を見つけることはできずに、気づいた頃には大人になっていた。

絶え間なく流れ込む情報によって、選択肢は無限に増え続ける。その可能性に広がりにはじめは胸が踊っていたものの、やがてその期待感は現実への虚無感や焦燥感へと変わっていった。
ただ可能性が広がるだけでは、自由は手に入らない。実際にその恩恵を受け取るためには、決断する勇気が必要であった。

そして、何かがプツっと切れたように、私は唐突に砂を敷いて暮らし始めた。
今思えば、それは「うるさい」という感覚に近い。
私が砂を敷いたのは、外から流れ込んでくるあらゆる声たちと距離を置きたかったからなのかもしれない。それは、砂の部屋に訪れる人々と接していくなかで気づかされたことであった。

砂の部屋は、訪れる人にとっての生活の場でも働く場所でもない。
今置かれた現実から少し距離を置いた空間には、求められる役割は存在せず、「今ここ」にいる自分自身から声が落ちてくる。

そして、気づかされる。
生きている実感が欠けていたのは、自分自身が「今ここ」にいなかったからであるということに。ずっと欲しかったものは、「ここではないどこか」ではなく、いつだって「今ここ」にあったのだと。

砂の上に暮らし始めてから数年が経った頃、私が見つけたのは、まぎれもなく今ここにいる私自身の声であった。
もうひとつの地表
砂を敷くと、世界にもうひとつの地表が現れる。
その空白に落ちる声は、私たちにたしかな実感をもたらす。

はじまりは、東京にあるアパートの一室。四畳半の部屋に敷かれた200キロの砂。その空間には現在も人を招き続けており、いつしか人々の内なる声に耳を澄ませ、悩みを解消したり、人生の次なる展開を探る手助けをすることが、私の仕事となっていた。

私たちは、外からの声があまりにも聞こえすぎている。
その声に囚われ自らの声を見失うと、漠然とした不安に苛まれたり、得体の知れない焦燥感に駆られ、最後には自信がなくなってしまう。
けれど、今ここにいる自分自身の声にもう一度耳を澄ませることができれば、それがあたらしい自分を迎え入れるための勇気となる。
砂の部屋がそんな落ちてくる声たちの居場所のひとつとなれたら、とても嬉しいと思う。

だから私は、今も砂を敷ける場所を探し続けている。
新たな場所と出会うたびに、その空間がもつ特性や土地の文脈からインスピレーションを受け取り、砂の部屋をつくっている。
そんな砂と共に過ごした年月が、砂を敷くという身体的な経験が、この人生の地続き上にたしかな実感をもたらしてくれる。

そしてそれが、私が砂を敷く理由になっている。
Edited on 2024/11/27
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砂の部屋へのご案内
東京にある砂の部屋の常設空間では、オープンデイワークショップ行なっています。
四畳半の部屋に200kgの砂が敷かれた空間に、1日1組・予約制にてご案内しております。