D R O P N O T E
語り直しのノート術
目次
あとがき
準備ができている人
どれほど複雑に絡み合った悩みでも、その物語をほどいてみれば、行き着く先はいつだって、「受け入れる」か、「手放す」かにたどり着く。
つまり、自分と向き合う準備ができているか、ということが問われている。
今、あらためて感じるのは、 ドロップノートによって大きな変化がもたらされるとき、それは、ノートのよみ方が特別だったのではなく、ただ、その人が「準備ができている人」だった、ということである。
悩みを抱えて訪れたとき、その時点ですでに、何かが始まっている。まだ言葉にはなっていなくても、そこには大きな勇気が払われている。それだけで、私はその人を信じようと思えた。
変化は、沈黙のなかで始まる。
自分と向き合う準備ができている人は、ノートをかき始める十分間の沈黙のなかで、すでに変化が起こりはじめる。
私は、ノートをよむことが自分の役割だと思っていたけれど、次第に、ノートをかく人が自分と向き合い静かに座る、その時間に寄り添い、ともに座ることこそが自分の役回りだと感じるようになっていた。沈黙のなかに一人で座り、自分に向き合うことは恐いことだから。
たとえうまい助言はしなくても、ただ聴いているだけで、そこにはたしかな力があると感じられる。そして私自身もまた、ノートを通して声を聴きながら、自らが癒されていくのを実感していた。
誰かの声が呼び水となって、私自身の内なる声に語りかける。そのとき、私たちは、感動で繋がっている。
つまり、自分と向き合う準備ができているか、ということが問われている。
今、あらためて感じるのは、 ドロップノートによって大きな変化がもたらされるとき、それは、ノートのよみ方が特別だったのではなく、ただ、その人が「準備ができている人」だった、ということである。
悩みを抱えて訪れたとき、その時点ですでに、何かが始まっている。まだ言葉にはなっていなくても、そこには大きな勇気が払われている。それだけで、私はその人を信じようと思えた。
変化は、沈黙のなかで始まる。
自分と向き合う準備ができている人は、ノートをかき始める十分間の沈黙のなかで、すでに変化が起こりはじめる。
私は、ノートをよむことが自分の役割だと思っていたけれど、次第に、ノートをかく人が自分と向き合い静かに座る、その時間に寄り添い、ともに座ることこそが自分の役回りだと感じるようになっていた。沈黙のなかに一人で座り、自分に向き合うことは恐いことだから。
たとえうまい助言はしなくても、ただ聴いているだけで、そこにはたしかな力があると感じられる。そして私自身もまた、ノートを通して声を聴きながら、自らが癒されていくのを実感していた。
誰かの声が呼び水となって、私自身の内なる声に語りかける。そのとき、私たちは、感動で繋がっている。

東京にある砂の部屋では、ドロップノートのワークショップを予約制にて行っています。