D R O P  N O T E
語り直しのノート術
はじめに
言葉は自分のものか
「いまが一番、自分の言葉で話せている」
幸せそうにそう語る友人は、マルチ商法にハマっていた。

舞台の上で与えられた役を演じるように話すその姿は、以前に見たときよりも自信に満ちている。何が悪で、何が正しいことなのか。その境目は、あらかじめ用意されたシナリオに記されているようだった。
どんなに話題が逸れたとしても、会話は必ず、決められた筋書きへと引き戻される。その言葉は、目の前の私にではなく、どこか別の誰かに向けられているようだった。
今、この瞬間をともに過ごしている実感がまったく湧かない。声はただの音と化し、その人が本来もっていたはずの響きは、すっかり消えてしまっていた。

そう、声が消えてしまった。私はそれが、悲しかったのだ。
忘れられた声
「自由に生きよう」というメッセージが浸透する社会のなかで、友人は自分らしくあることに懸命だった。
そんな彼女にとって、「これが自分の役割だ」と感じられるシナリオは、心の支えになっていたのだろう。無数の選択肢に迷っているよりも、用意された筋書きの中に自分の居場所があると信じられるほうが、心は一時の安らぎを得られる。

そう思うと、そのシナリオが正しかったのかどうかよりも、なぜそのシナリオが必要とされたのかのほうが、ずっと切実なことのように感じられた。

自由には、孤独や不安がつきまとう。何でもできるということは、かえって人を迷わせる。そんな心の隙をつくように、世の中には「成功」や「幸福」、「安心」を約束するシナリオがあふれていた。

言葉には力がある。
言葉の連なりから物語が生まれ、そこに意味が見出されるとき、人は前へ進むための勇気を得られる。

けれど、言葉には力がある。
用意されたシナリオに囚われてしまうとき、人は自分自身の声を忘れてしまう。
1ページの旅をする
二〇一六年、ロンドンの芸術大学での留学生活を終えて日本に帰ってきた私は、アーティストの活動の一環として、東京にある四畳半の部屋に砂を敷いて暮らし始めた。
「砂の部屋」と名づけたその空間に人を招き続けているうちに、そこには、行き場のない悩みが集まるようになっていた。

悩みを語りはじめた人の声が、やがてその人自身を癒しているように思える瞬間がある。
そんな場面を幾度も目の当たりにするうちに、私はその「声」のことが気になるにようになっていた。
そして、その「声」に導かれるようにして、私は一枚のノートを使ったワークをはじめていた。

十分間の沈黙のなかで、「ドロップ」と呼ばれる小さな紙のかけらに、思い浮かんだことを書き出していく。
それらをノートの上に並べたあとに、ドロップにかかれた言葉や配置、そこから想起される感情や印象をよんでいく。
一人でノートをかく時間と、誰かとともにノートをよむ時間。
このふたつを三回ほど繰り返すなかで、ノートの上には次第に、その人のなかにある世界観がうつしだされていく。

私は、このノートに「DROP NOTE / ドロップノート」と名づけた。

そのノートのつくり方は、留学中に、作品ができあがるまでの過程をすべてノートに記録しようと試みていた経験から生まれている。
英語があまり話せなかった私は、自分の作品について話したいことはあるのに、その場でうまく声に出せなくて悔しい思いをしていた。
けれど、制作過程を記したノートを見せながら話すことで、言葉が拙くても、思っていたことがたしかに伝わるようになっていた。
ノートに託した兆しを、相手がよみとってくれることに、私は喜びと面白さを感じていた。
そして、そのときの先生は、私のノートを楽しそうに眺めながら、「いい旅をしているね」と言ってくれた。
​​​​​​​落ちてくる声を聴く
ノート上の世界はどんどん移り変わっていく。
それは、まさに1ページの旅をしているように感じられた。

そして、その旅の途中では時折、その人の内に眠っていた「声」が落ちてくることがある。
「note」という言葉には、メモや記録のほかに、声の調子や響きという意味もあるらしい。

ワークを始めて数年が経ち、気がつけば、今を生きる人々の「声」を聴くことが、私の仕事になっていた。

個人の相談から企業の研修まで、これまでに多くのノートをよんできたなかで実感したのは、語られる言葉の意味や内容だけを追うのではなく、その人の持つ「声」そのものを聴くことの重要性であった。

ここでいう「声」とは、単なる言葉のことではない。
ある言葉を口にしたときの響きや震え、ノートのなかに表れる無意識のサイン、沈黙さえも含めた、その人自身から発せられるエネルギーの質感すべてを指している。
それは、まだ言葉では言い表すことのできない願いを伝えていた。

悩みは、抑圧された「声」から生まれている。
話の内容ばかりに目を向けていると、つい答えを急ぎたくなるけれど、自らの「声」に耳を澄ませることで、悩みは解決しなくても解消されていくことがある。

外からの助言には限りがある。
けれど、人が自らを癒す術は、いつだって、自分の内側に眠っていた。
語り直しのノート術
一枚のノートを通して、悩みをほどいて語り直す。

この本は、これまで私が巡り合ってきた、そんな語り直しの物語から得た気づきを、収集するために書かれている。
また、ここで扱っているのは、効率や成果を期待できるようなテクニックではない。
声を聴く力やその姿勢を、対話をベースとした物語のかたちに託していく試みである。

具体的な出来事をそのまま記すことはできないけれど、その場に立ち会ったときの空気や感動を思い出しながら、すくいあげたエッセンスをもとに、あらたな語り直しの物語として書き起こしていく。

今を生きる人々から託されたその「声」は、語り直しの術となる。