D R O P N O T E
語り直しのノート術
目次
第三章
思い出すことは気づくこと
どこから来て、どこへ向かうのか。その流れのなかに、物語は宿る。
けれど現実の私たちは、これからどうするべきか、という未来のことばかりに目を向けてしまう。
そして、「どこへ向かうのか」がわからなくなったとき、「どこから来たのか」を思い出すことが、道をひらく兆しとなる。
この章では、「やりたいことが色々あるけど進まない」という飲食店を経営するケイさんが、自身のなかにある経営者とは別のもうひとつの顔に気づくことによって、忘れかけていた本来の自分を思い出し、やりたいことが見えてくるまでの過程が描かれる。
けれど現実の私たちは、これからどうするべきか、という未来のことばかりに目を向けてしまう。
そして、「どこへ向かうのか」がわからなくなったとき、「どこから来たのか」を思い出すことが、道をひらく兆しとなる。
この章では、「やりたいことが色々あるけど進まない」という飲食店を経営するケイさんが、自身のなかにある経営者とは別のもうひとつの顔に気づくことによって、忘れかけていた本来の自分を思い出し、やりたいことが見えてくるまでの過程が描かれる。
Prologue
やらなきゃいけないことが進まない
「店を始めてもう数年が経って、ありがたいことに常連さんも増えてきたんです。だから、そろそろお店をちゃんとしていきたいと思っていて。内装とか集客のこととか、いろいろやらなきゃいけないことはあるんですけど、なかなか進められていないんですよね。それでこの機会に、やりたいことを整理したいと思って来ました。」
ケイさんは、個人で飲食店を始め、今では数名のスタッフと一緒にお店を切り盛りしている。
選択肢が広がり続ける今の時代において、「やりたいことが多すぎて選べない」という迷いを抱えるのは、自然なことなのかもしれない。
やることを管理するツールは数多くあっても、何をやるのかを選ぶための判断する軸は、自分のなかにしか存在しない。ドロップノートで行うのは、情報の整理ではなく、自分の感覚との再接続である。
目の前の選択肢に対する答えを出すのではなく、自らの内にある感覚をすくい上げ、迷いの奥にある軸を探っていく。
やることを管理するツールは数多くあっても、何をやるのかを選ぶための判断する軸は、自分のなかにしか存在しない。ドロップノートで行うのは、情報の整理ではなく、自分の感覚との再接続である。
目の前の選択肢に対する答えを出すのではなく、自らの内にある感覚をすくい上げ、迷いの奥にある軸を探っていく。
Reading 1
「選べない」というメッセージ

ケイさんのノートには、あちこちにドロップが散らばっていて、『時間が足りない』というドロップにだけストーンが置かれていた。
「どんなことを思い浮かべながらドロップを書きましたか?」
「今やらなきゃいけない仕事のこととか、あと最近やりたいなと思っていることをいろいろ。とにかく書くのに夢中になってしまって、あんまり考えてなかったです。」
「ストーンを置いたところについても聞いていいですか?」
「『時間が足りない』ってところが一番気になっていますね。やりたいこととかを書き出していて、より強く思いました。あとは、あんまり「これ」っていうドロップが選べなかったんですよね。」
「不思議の国のアリスの白ウサギってわかりますか?時計をもって「遅刻だ、遅刻だ」って急いでいる、あのシーンがふと浮かんできました。」
「たしかに言われてみれば、そう見えるかも。なんだか落ち着きがないですよね。」
「ケイさんのノートは、ドロップの言葉だけを追うとてんやわんやしているんですけど、ノート全体には、不思議とワクワク感や楽しそうな雰囲気が感じられるんですよね。」
「あはは。楽しそうっていうのはよく言われます。」
「「これ」というドロップが決めきれなかったということですが、私がケイさんのノートを見て感じたのは、二人分のノートが混ざっているような印象でした。」
「二人分のノートですか?」
「はい。一人は、『事業計画』とか『お金』とかについてちゃんと考えている経営者のノート。これらは仕事に関することですかね?」
「そうです。」
「そしてもう一人は、『季節を感じたい』とか『遠くの風景』に思いを馳せているような、経営者のときとはまた違った人の姿を感じます。これらのドロップについては、どんな印象が浮かびますか?」
「自然が好きなのでそのイメージですかね。キャンプとか好きで、昔はよく行っていたんです。そこから連想して書いていたり、もはや妄想みたいなものですね。仕事の合間にそういうことを想像するのが好きなんですよ。普段はお店があって遠出できないので、頭の中で旅に出るような感じです。」
「そうなんですね。ケイさんのノートで面白いと感じたのは、経営者の側面があると同時に、それと全く違う自由な旅人みたいな面も見えるところなんですよね。」
「旅人っていうのはすごくしっくりきます。というか、そっちが本来の自分の姿って気がします。店を始める前までは、いろんなところをフラフラとしていたんです。だけど店を始めてから、特に人を雇い始めてから変わってきたのかもしれない。」
「ノートのなかにいる経営者のケイさんと旅人のケイさん、随分と違う印象の人に見えます。経営者のノートからは『責任感』を強く感じて、旅人のノートからは『遊び心』を感じます。」
「それは、自分のなかでもモードを切り替えてる感覚があります。」
「それぞれのモードの違いはあるんですか?」
「経営者モードのときは、「しっかりしなきゃ」って意識してますね。もともとルーズでだらしない人間だったので。あ、旅人モードはその時の自分に近い気がしますね。もっと無責任な感じ。」
「リーディングのはじめに、「これだ、というドロップが選べない」って言っていましたよね。相反する二つの顔が混ざっていると、どちらかにとっては正解でも、どちらかにとっては間違いになる。そうすると、「選べない」ということもメッセージの一つだったのかもしれません。」
「たしかに。どれを選んでも、違うような気がしていたんです。」
「どちらか片方を無視して選ぶこともできる。けれど、そうしなかったのは、どちらの自分にも正直でありたいという願いのようにも感じられます。」
「んー、たしかにどちらの自分も捨てたくはないですね…」
「そうしたら、次はケイさんのなかにいる二人の自分、それぞれを感じながら、ノートをさらに進めてみてもいいかもしれないですね。」
「はい、そうしてみます。」
・・・
ケイさんのノートには、責任感のある経営者としての側面と、遊び心のある自由な旅人のような側面が混在していた。相反する二つの顔が一枚のノートのなかにあることによって、ケイさんは、「これ」だと思うドロップを選べないでいた。そして、それは単なる迷いではなく、どちらの自分にも正直であろうとする願いのあらわれでもあった。
ドロップノートは、必ずしも一貫した自己像を映し出すためのものではない。むしろ、ドロップに分解することで、相反するように見える複数の側面が浮かび上がりやすくなる。その混沌こそが、一人の人間としてのリアルな状態を映し出している。
Reading 2
「責任感」と「遊び心」

ケイさんのノートには、枠からはみ出すほどの大量のドロップが広がっていた。
「すごいドロップの量ですね。」
「だんだん書くのが楽しくなってきちゃって、ノートからだいぶはみ出しちゃいました。」
「いいですね。ドロップは、どのように配置したんですか?」
「経営者の自分と旅人の自分、それぞれに関するドロップを集めて並べてみました。ノートの左側が経営者のエリアで、右側が旅人のエリア。経営者のエリアまでは整理できたんですけど、旅人の方は時間がなくて、適当に並べてあります。まだまだ時間が足りないですね…」
「それぞれのドロップのまとまりごとにイメージがだいぶ変わりますね。」
「あと、さっきは、「これ、と思えるドロップがない」って言ったんですけど、今回は「ここかな」と思えるところが見えてきて。すんなりとストーンを置くことができたんです。」
「そうなんですね。ストーンを置いたところについて聞いてもいいですか?」
「まず、『常連さん』というドロップに石を置きました。お店をいろいろ変えたいとは思っているんですけど、今いる常連さんたちのことは大事にしたいんです。お店を始めた頃から支えてくれている人もいるので。」
「そのドロップのそばに置いてある『「らしさ」を失わない』というドロップも関係しているんですか?」
「はい。今いる常連さんが離れてしまったら、きっと、うちの店の「らしさ」も消えてしまうような気がして。」
「他にストーンが置かれているドロップについても聞いていいですか?」
「『ラボ』は、なんだか響きがワクワクして好きだなって思って選びました。そして、『日常を味わう』は、お店を始めた頃に考えていたことなんです。そのことを、さっきノートを書いていて思い出したんです。」
「お店を始めた頃について、伺ってもいいですか?今思い浮かぶことを何でもいいので。」
「そうですね、最初は一人で店をやっていたのでとにかく夢中でした。メニューも今より全然ちゃんとしてなかったから、新しいものを思いついたらすぐに試してお客さんに出してみたりして。そうしたら、少しずつ面白がって常連になってくれるお客さんも増えてきたんですよね。」
「素敵ですね。今の話を聴いて改めてノートを見てみると、ノートの右側にある旅人にまつわるドロップたちに通じるものを感じます。」
「たしかに。」
「反対に、経営者のエリアからは、どんな印象を受け取りますか?」
「なんだか…大人って感じですね。見ていて全然ワクワクしない。」
「ワクワクしなかったら、身体が動き出さなくても不思議ではないですよね。お店を始めた頃の方が、今より「ちゃんとしてなかった」のかもしれませんが、身体は動いていたんじゃないですか?」
「うわ……本当ですね。そういえば昔から思いついたことはすぐ行動しちゃうタイプで、計画とか苦手だったんですよ。」
「ノートのなかの経営者のエリアを見ていると、「やらなきゃ!」って声は聞こえてくるんですけど、動き出す気配があまりしないんですよね。せっかく旅人のエリアにすごいパワーを蓄えているのに、二つが分断していて流れていない。それがもったいないと感じてしまいます。」
「分断しているっていうのはそうですね。頑張って分けて考えようとしていたので。だけど思い返してみたら、店を始めた頃は分けて考えていなかった気がします。とにかく動きながら考えていた。」
「ちょうどこの二つのエリアの間にある『ラボ』ってドロップが、繋がる鍵になるのかもしれないですね。お店を始めた頃のケイさんの話って、まさに実験室みたいな印象を受けました。」
「そうかもしれない。どんどん試してみながら前に進めていくってイメージで『ラボ』って言葉を書きました。」
「そうしたら次は、『ラボ』という鍵によって、二つのエリアがどこかで統合する流れが見えて来るかもしれませんね。」
「もう一度、向き合ってみます。」
・・・
ドロップをテーマごとに分けて配置してみると、自分のなかにある複数の側面が、それぞれクリアに浮かび上がってくる。そして、ドロップの島と島のあいだに生まれた余白に目を向けることで、バラバラに見えていた自分の内面の要素が、どのように統合していくのかを考えはじめるきっかけとなる。
ケイさんのノートには、経営者としての責任感と、旅人のような遊び心が、ノートの左右に分かれて配置され、異なるエリアを形づくっていた。そんなノートをよみながら、ケイさんは、かつてお店を立ち上げた頃の、経営と遊びを分けずに、とにかく動きながら考えていた昔の自分の姿を思い出していく。
そして今、ノートの中央に置かれた『ラボ』というドロップが、分断されていた二つのエリアをもう一度つなぎ直す鍵となることに気づきはじめる。
そして今、ノートの中央に置かれた『ラボ』というドロップが、分断されていた二つのエリアをもう一度つなぎ直す鍵となることに気づきはじめる。
Reading 3
「やらなきゃいけない」を手放す

ケイさんのノートの上からは、先ほどまであった大量のドロップが消えていた。取り除かれたドロップは、ノートの外側に山のように積まれている。
「また、ノートが一変しましたね。どのように変えていったんですか?」
「まず、さっきワクワクしないと感じた経営関係のドロップを、思い切って全部ノートの外に出してみたんです。とくに、「やらなきゃ」と感じるようなドロップを外していったんですが、それが断捨離みたいで気持ちよかったですね。」
「ドロップを捨てたというよりも、「やらなきゃいけない」という気持ちを手放したのかもしれないですね。」
「本当に。軽くなった気分です。」
「そのあとは、どんなふうにノートを変えていったんですか?」
「『ラボ』を中心に置いて考えようと思ったんです。そこに常連さんも巻き込んだような、よりワクワクにひたれる場所にしたいなって。」
「いいですね。」
「それから、『旅人の時間』ってドロップを足しました。お店を始める前は、キャンプをしたり、遠出するのが好きだったんです。でも、そんな時間をしばらく取れていないことに気づいて。お店を始めてからは、休むことに罪悪感を覚えるようになっていたんです。何かしていないと落ち着かなくて。だけど、『旅人の時間』だと思えばよかったんだって、ようやく腑に落ちました。サボっているんじゃなくて。」
「ケイさんにとっては、大切な時間だったんですね。」
「はい。無駄じゃなかったんだなって。」
「『ラボ』というのも、好奇心を追求していく感じが、部屋のなかで旅する感覚に似ていますね。」
「その捉え方はいいですね!」
「経営関係のドロップでも、ノートに残しているものもあるんですね。」
「あ、そうなんです。最初はノートから外していたんですけど、実験の延長線上で『EC』とか『グッズ』とかはできちゃいそうだなって気がしてきて戻したんです。」
「このケイさんのラボから生まれてくるものは、なんだか楽しみになってきますね。」
「あ、通ってくれてる常連さんたちもそんな感じだったのかもしれないですね。いつも「楽しそうにしている姿がいい」「見ているとワクワクする」って声をかけてくれるんです。」
「ほんとにそうですね。きっと常連さんたちは、ちゃんとしてるから来てくれていたわけじゃない。」
「本当だ。昔は今よりもっと全然ちゃんとしていなかったけど、面白がってくれていたんです。」
「これから来てくれるお客さんも、ちゃんとしてるから来てくれる人より、ワクワクするから来てくれる人が増えた方が嬉しくないですか?」
「そうですね。ちゃんとしたものを出そうとしていたんだと思います。実験でよかったんだなって今なら思えます。その方が、自分にとって正直だったんだ。」
「これから何が出てくるのか楽しみですね。」
「はい。帰ったらすぐに試したいことが浮かんできました!」
・・・
ケイさんのノートは、最初は「やらなきゃいけない」ことで溢れていた。けれど、大量のドロップをノートの外に出すことで、「やらなきゃ」という気持ちを手放し、自らの感覚に正直に向き合える余白が生まれていく。そして、お店を始めた頃の、かつての自分の姿を思い出したとき、分断されていた「経営者としての自分」と「旅人のような自分」は自然と再びつながり始める。
「どこから来たのか」を思い出したとき、次に向かう道は自然と見えてくる。
そこに本来の姿があったと気づいたとき、「やらなきゃ」だった手は、「やってみたい」へと動き出す。
「どこから来たのか」を思い出したとき、次に向かう道は自然と見えてくる。
そこに本来の姿があったと気づいたとき、「やらなきゃ」だった手は、「やってみたい」へと動き出す。
